Monday, May 9, 2016

セビリアの聖母

こんにちは!
地震等色々な事がありましたが、長崎市内は観光客の方々もだいぶ戻ってきて、
ゴールデンウィークは満室を頂く日もありました。ありがとうございました。
眼鏡橋にチリンチリンアイスの販売車がいるのを見ると、いつもの風景ですが何だかホッとします。

さて、ある日チェックアウト後のお客様のお部屋を清掃していると「南島原市セミナリヨ現代版画展」というチラシが置いてありました。そのチラシの表紙の片隅に銅版画家、故・渡辺千尋氏が1597年に作成された銅版画を復刻した「セビリアの聖母」の写真が掲載されていました。長崎文献社から刊行された「殉教(マルチル)の刻印」でこの銅版画について知っていたので、長崎県立美術館で開催されているとの事で(5/1で終了)早速足を運び現物を見に行きました。

県立美術館会場入り口
この26聖人殉教の年(1597年)に日本人の画学生により作成された銅版画を復刻するプロジェクトは、南島原市有家町がセミナリヨ開設400周年を記念して渡辺千尋氏に復刻を依頼して平成8年に実現したものです。
渡辺千尋氏は東京で生まれ、幼少から長崎の西坂で育った銅版画家です。
何故この銅版画が選ばれたのかは、キリシタン禁教、弾圧の時代にほとんどの聖画が喪失され、この「セビリアの聖母」と「聖家族」の二点だけが奇跡的に残り「聖家族」の方は損傷が激しく全容が見えない事から、この「セビリアの聖母」が選ばれたようです。


しかし数ある作品が喪失される中、残った作品が偶然にも西坂での26聖人殉教の年に日本人の手によって作成され、それを400年近く経った現代で、西坂で育った渡辺氏によって復刻される事になるとは運命とは不思議なものです。正に奇跡なのかもしれません。

この1597年に有家のセミナリヨで作成された銅版画「セビリアの聖母」ですが、それよりも前にヨーロッパで作成された「アンティグワのマリヤ」(原題:Virgen De La Antigua)という壁画を元に作成された銅版画を元に作成されたとされています。(ややこしくてすみません。)
この壁画はスペインのセビリア大聖堂に設置されているものです。(元々はこれが原画なのですが、現在設置されているものは塗り替えられたり修正が重なったもので原画とは様子が違うようです)

渡辺氏は最初このプロジェクトに乗り気では無かったのですが、この銅版画が作成された時代背景を知るに連れ、自分との関連性に気付き、またこの作品が持つミステリアスな部分に猛烈に興味を抱き復刻を決意します。そして復刻するために、コピーではなく原画(1597年作「セビリアの聖母」)を見たいと願います。しかし、長崎カトリックセンターにより管理の面で厳重に封印されていて、プロジェクトの趣旨を伝えたにも関わらず、願いも虚しく見せてもらう事はできませんでした。
宗教性での壁を感じた渡辺氏は少しでも当時の殉教した人達の気持ちに近づこうと、26聖人が辿った道をそのままの日程で歩く旅に出ます。大阪の堺から長崎の西坂を自分の足だけで目指す過酷な道のりです。途中から取材記者も駆けつけ、噂が広がり、カトリックセンターはその努力に胸を打たれ原画を公開する事を決めました。

原画を目にし、やっと復刻に取りかかると浮かび上がる謎の数々、例えば幼子キリストが手にしている白鳩が意図的に排除されている、左右の外枠が不自然に切り取られている等、原画(セビリア大聖堂の壁画)と違う点が浮かび上がり、推理を働かせます。
興味深いのが「作成されたのは1597年26聖人殉教の年で、この出来事にショックを受けた版画家は平和の象徴である鳩を意図的に排除したのではないか」という400年前の顔も名前も知らない若き版画家の深層心理や心の葛藤までをも探る点です。このような視点がこの作品を興味深いものにし、見る者を更に惹きつけます。

この復刻の模様は長崎文献社刊行の渡辺千尋著「殉教(マルチル)の刻印」で詳細に記されていますので、ご興味あれば読んでみてください。

それでは最後に「南島原市セミナリヨ現代版画展」で撮った写真を載せておきます。
(残念ながら5/1で終了しております。これらの銅版画は普段どこで見られるのでしょうか。知ってる人いたら教えて下さい。)
ではさようなら!

原画「セビリアの聖母」
左右の枠が中途半端な所で切れている
作書の魂の叫びか、壁画に描かれている白鳩はキリストの手から排除されている

渡辺千尋作復刻版の原版
当然ですが左右対称ですね
渡辺千尋作復刻版
左右の枠まで描かれている
下の部分の題名や作られた場所が書かれたクレジットのような部分まで緻密に再現されている

当時の新聞記事


「殉教の刻印」西坂のフィリポ教会をバックに

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