8月9日朝。
折り鶴を持って、小雨の長崎平和祈念公園へ。
僕達は旅人達の折り鶴を届けました。
メッセンジャーになったつもりで鶴にこめられた思いを色付けせず味付けせず、
そのままに運べただろうかな?
「平和」というあまりにも使い古されて形骸化してしまった言葉にずっと違和感を感じながらも、
僕らは僕らなりに、静かに何かのアクションしたいな、とこの企画を続けています。
僕だって誰だって爆弾のボタンを押してしまう人になりうるのだという危うさを思いながら、
この言葉について考え続けています。
「折り紙って何?」という興味、の鶴も。
ビールを飲みながら、の鶴も。
他のゲストと話しながら、の鶴も。
首の曲がったのも、翼がやけに細いの、しまいには途中で挫折した鶴も。
それもいい加減で適当な人間らしくていいんじゃないかと思える今日この頃です。
頭の中にぐるぐると鎧をつけて完結させる人よりも、
失敗しながらも対話したりアクションしたり人が好きです。
何か言っていることがまとまってないようなんですが、そういうことが言いたかったんです。
No comments:
Post a Comment